わたしにできることは意外とある?!
昨日、ヴィアナ沙織さんと取材ライブをしました。
始まる前。
時間が迫ってくるにつれて、緊張と焦りがどんどん増していきます。
あと1時間だ……。
30分……。
15分……。
もう逃げたい。
そもそも、口から何か出てくるんだろうか。
何度もトイレに行くという、どこからどう見ても緊張している状態でした。
それでも、時間はジリジリと迫ってきます。
今日は、そんな取材ライブを終えて感じたことを書いてみようと思います。
承認してください
きた!
……押すしかない。
いや、自分からDMしたのだから何を言っているのか。
大きく息を吸って、
「ぽち」。
ヴィアナさんの声が聞こえました。
「よろしくお願いします!」
そう言ったあと、不思議なくらいスーッと落ち着いてきました。
いよいよ話す。
覚悟が決まったのかもしれません。
私にも可能性がある!?
取材ライブの詳しい内容はこちらに残っています。
私はこれまで、ひた隠しにしてきた「虐待を受けた過去」を、何かにつなげられないかと前々から考えていました。
ただ、虐待事件そのものは少なくありません。
だから、
「私の経験なんて、特別なものではないのでは?」
そんな思いもありました。
私に思いついていたのは、本を出せる可能性があるのかどうか。
そのくらいです。
ところがライブが始まって数分。
「本にできる可能性はありそうだ」
ということが、なんとなく見えてきました。
でも、それだけではありませんでした。
私には見えていなかったもの
本を書くとしても、過去の体験だけを書くのではない。
コミュニケーションのこと。
親が知りたいこと。
自分がどうやってここまで来たのか。
カウンセラーを選ぶときに感じてきたこと。
講座やお話し会のような形もあるかもしれない。
さらに、このSubstackに来てから私自身が大きく変わったことを、Kindle出版という形で残す方法もある。
テキストベースで何か届けることもできるかもしれない。
ここまでは、まだなんとなく想像できました。
でも、全く別の角度から出てきたものがあります。
「アプリ作成」です。
私はこれまで、自分の困りごとを少しでも楽にするために、アプリを作ってきました。
Codexを使いながら、
「こうだったら使いやすい」
「これがあると困らない」
そんなふうに、自分に必要なものを作ってきただけです。
だから、
「これで?」
というのが正直な気持ちでした。
私にとっては、必要だからやっていただけのこと。
特別なことをしている感覚はありません。
でも、他の人から見たら、それも一つの可能性になるらしい。
以前、自分の行動力や継続力について書いたときにも感じました。
自分では当たり前だと思っていることが、他の人から見ると当たり前ではないことがある。
今回も、同じなのかもしれません。
これからどう進むのか
昨日の取材ライブを、もう一度聞こうと思っています。
その中から、
「これなら今の私にもできそう」
と思えるところから、少しずつ動いてみたいです。
私は、難しいことがたくさんあります。
人とうまく話せない。
そもそも人が怖い。
何かをしていても、突然記憶が飛ぶことがあります。
だから私は、常に首から札をかけています。
もし記憶をなくして外を歩いていても、誰かに連絡がいくように。
そんな私にも、できることがあるらしい。
昨日、それを初めて少しだけ信じられた気がします。
かなりの勇気を出して、ヴィアナ沙織さんにDMを送って、本当に良かった。
あのDMを送っていなかったら。
あの「ぽち」を押していなかったら。
昨日の時間はありませんでした。
そして私は、自分にこんなにいろいろな可能性があることも知らないままだったと思います。
道は、動いたあとに見えるのかもしれない
私は、突っ走って暴走することが多いです。
向かう先もよくわからないまま走り出して、
そのまま、いつの間にか穴に落ちます。
それでも、また這い出して走り、また落ちる。
そんなことを繰り返しています。
今回も、DMを送ったときに、
「この先どうなるんだろう」
なんて、ほとんどわかっていませんでした。
ただ、送ってみた。
そして昨日、取材ライブに出ました。
その結果、今まで自分では見えていなかった道が、少しだけ見えました。
最初から道が見えていたわけではありません。
動いたあとに、見えてきたんです。
だから今回は、
あのDMを送れた自分を、少し褒めたいと思います。
今、
「本当はやってみたい。でも怖い」
と止まっていることはありますか?
大きなことでなくて大丈夫です。
もしよければ、コメントに一つだけ書いてみてください。
書いてみることが、最初の「ぽち」になるかもしれません。
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